○一九六三年、土木学者「種田守」の子として山梨県上野原(現上野原市)にて出生。翌年、父の転勤に伴い東京都小平市に移住。
○幼稚園の帰り道、近所のスーパーでラジオの生中継を体験し衝撃を受ける。この時のレポーターは初代林家三平であった。
○大阪万博の年に父の転勤に伴い熊本市に移住。以降熊本市民として現在まで住民票を置いている。
○小学生の頃から、テープレコーダーや8ミリカメラを好き勝手にいじくり回し、得体の知れないラジオドラマや、不思議とちゃんと動くアニメーション映画などを作りまくる。
○中学一年にして「ウェブラジオFMC」の母体となる「ミニ放送局・白川放送」を創設。放送エリア=校区をいいことに、学校放送では流せない裏情報やゴシップなどを無遠慮に連夜放送。スクープされた女子生徒たちの怒りを買い、休み時間になると廊
下を逃げ回る姿が散見された。(※そのためか「逃げ足の速さ」が榎田の座右の銘となっている)
○高校に入るとその悪知恵に磨きがかかり、イベントを自主開催してはスポンサーから販促グッズを集め、その上前を撥ねることを繰り返したり。長蛇の列の発生が予想された大ヒットアニメ映画「銀河鉄道999」の公開初日の入場整理券を自ら作成。並ぶことなく悠然と一番乗りを決めるなど枚挙に暇が無い。
○高校三年。頻繁に投稿していたラジオ番組(文化放送)のディレクターから「是非会いたい」と言われ、夏休みを利用して自腹で上京。そのまま放送用台本(福武書店提供・チャレンジ名作ライブラリー)を書かされ放送作家として業界デビュー。一方、学業は放置状態で、入学時は東京六大学全然OKな偏差値であったのに、二年生で日芸(日大芸術学部)なら何とかというところにまで下落。三年生になると「大阪芸大だけは嫌だ!」とダダをコネるまで悪化。だが、持ち前の強運と異常な記憶力に助けられ、辛うじて熊本商大(現学園大)と青山学院大に合格。折角受かったのだからということで記念に両方に入学するという暴挙を素面で実行。
 ※ウケ狙いで熊本予備校と寺原自動車学校にも同時入学している。
○当然続くわけが無く全部中退。ちなみに小平学園幼稚園も中退した過去がある。
○その後、放送の裏方として修行に修行を重ね、誰もが認める《異常な技術力》《膨大な知識》を身につける。「榎田信衛門の頭の中には用語辞典が詰まっている」と言われるほどである。
○コピーライターとしても「かなりの猛者」である。
○持ち前の特異なキャラクター(博識・程好い外連味・広い音域の声)を活かして、ラジオパーソナリティ、ナレーター、コメンテーターとしても活躍している。
○番組でのキャラとは異なり、普段は物腰低く、穏やかな好人物である。
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