WA!アメーバだ 三十周年記念サイト










前書き/坪井川俊郎

 1980年代前半、全国的な大ブームとなった『ミニFM放送』(法で定められた微弱電波を用いる極小放送。免許不要で誰でも開局できる)
 一時は全国で1000局以上が開局していたとされる大ブームであった。
 その中で、実力、規模共に突出してしたのが熊本市にあった「FM-JOIN」である。西日本最大と言われマスコミ取材も殺到していた。

 自前の放送スタジオ(業務レベル)を有し、30名を超えていたというマンパワーも凄かった。何よりも弱冠二十歳そこそこでありながら、在京ラジオで放送作家、そしてミキシングエンジニアとしても頭角を現していた代表者たねだもりゆき(現在の榎田信衛門氏)の卓越したスキルと持ち前のゲリラ性によって「FM-JOIN」はその有り余る個性を遺憾なく爆発させていた。

 その頃私は高校生。新聞や雑誌で伝えられる「FM-JOIN」の活躍ぶりをただ指を咥えて眺めていただけだった。
 ちなみに「FM-JOIN」にはおよそ敷居と言われるものが存在せず、何処の何方様であってもJOIN(仲間入り)することができた。だからその気になりさえすれば私だって彼らと共に文科系ゲリラとなっていたかもしれない。けれど当時の私にはそういう思い切りの良さが絶望的に欠けていた。

 ある日のこと。新しく開局する県域FM局(FM中九州、現在のFM熊本)で「FMーJOIN」が番組を担当することを知った。後で分かったことだが、地元誌だけでなく九州ブロックの新聞各紙も大きな扱いで伝えている。「ミニFMが本物のFMに殴りこみ!」というスタンスの記事もあった。読んで痛快だった。

 その番組『WAアメーバだ』と言う。

 FM-JOINの痛快さは大きく分けると二つある。一つは同世代に門戸を開け放つ風通しの良さ。もう一つは、大人達が作った理不尽なルールについて本気で噛み付くゲリラ性だった。有る意味それは『言論版オヤジ狩り』であり、大人社会の理不尽な要求は敢然と突っ撥ねる強固な意志を持っていることに同世代として強い信頼性を感じたものだった。

 1980年代の熊本は、音楽・芝居・アート・パフォーマンスなど、様々なムーブメントが花開いた時期である。けれどもその中で特別異彩を放っていたのは間違いなくFM-JOINである。なにより素晴らしいのは、殆どの集団がいつの間にか雲散霧消していったのに対し、FM-JOINは少しだけ形を変えてはいるが現在も尚その活動を継続していることにある。

 僅か1クールに満たない短期間ではあったが、県域FM局つまりマスメディアという有る意味敵対勢力を舞台に『WAアメーバだ』と言う番組で文科系ゲリラ戦を展開したあの1985年。そしてその胎動が始まった1983年。あれから間もなく30年が経とうとしている。

 私の青春を振り返ることにもなる「あの時」のドキュメントを世に公開すべきであると榎田信衛門氏に何度もリクエストしてきた。そして10年ほど前のことだが「30年経過したらやっても良い」との言質を取った。
 そして時が来た。「もうじき30年ですね。もう宜しいですよね!」半ば脅迫っぽく氏にメールしたところ「かなわねぇナァ」という了解の返答を得、このサイトを構築することになった次第である。

 1985年、月曜深夜25時にゾクゾクしながら『WAアメーバだ』を聴いていた恐らく同世代の皆々様と共に、あのとんでもなく熱い番組が私達の青春時代に存在していたことを30年経った今改めて共有感覚できることを心より嬉しく感じている。

 最後になるが、今回貴重な資料を提供して下さった榎田信衛門氏そして「FM-JOIN」の末裔である「FMC」の皆様に心より御礼を申し上げる。


2012年12月吉日  勝手にリスナー代表・坪井川俊郎

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